「VIOLET」千穐楽のご報告

 

 

Violet』は売り切れ回続出!大盛況のうちに、

5月1613時公演で千穐楽を迎えました。

 

遅くなりましたが、簡単なご報告です。

 

 

←こちらは千穐楽終演後の

畠中さんです!

 

13公演が3日連続とか、初日の前日にゲネプロ3公演あったとかシングルキャストの方々やバンドさんはさぞハードな日々だったことと思います。
畠中さん、本当にお疲れ様でした。

千穐楽後なので、ネタバレありありでざっと全体の流れを書きます。

(あくまでも私の個人的な印象に残った流れなので、「それは違う」と思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、お許しを)

この作品の演出上の大きな特徴は、ヴァイオレットの顔の傷を特殊メイクなどの目に見える形で表現せず、黒人や白人の区別も手首に巻いたリボンの色で象徴的に表しているところです。(黒人は黒いリボン、白人は白いリボン)


冒頭のシーンで、旅に出ようとしてバスを待っているヴァイオレットの手首には赤いリボン。 その横で、白いリボンを手首に巻いているヤングヴァイオレットが父親(畠中さん)のマキ割りを眺めている回想シーンが始まります。

父親の「危ない!ヴァイオレット!」の声が響き、とっさに顔をかばうように手を上げたヴァイオレットが自分の白いリボンをほどき、下から赤いリボンが現れるので、観客はこの赤いリボンがヴァイオレットの傷の象徴なんだ、とわかります。

これは映像ではできない、生の舞台ならではの表現で面白いです。

 

初日の報告にも書きましたが、なんとなく「顔に大きな傷を負って生きてきたかわいそうな女の子。でも心はキレイなヴァイオレット」みたいなありがちな想像をしていたら、全く違いました。
テレビでショーとして放映されている眉唾ものの「奇跡を起こす牧師」に傷を治してもらおうと、お金を貯めて初めて故郷を離れ旅に出たのですが、自分の顔を見てギクッとしたバスの運転手に「あなたの顔はどうなのよ」と欠点をあげつらって絡むし、誰にでも食ってかかるし、非常に気が強く、性格がいいとはとても言えません。() 

でもそれこそが「普通」であって、いわゆる「いい子」を想定すること自体が、私の中にある思い込みと偏見なんじゃないか、と気づかされました。


睨み返す心の奥では常に傷つきながらも決して顔を隠したりしません。 

でも「奇跡を起こして傷を治してもらう自分」を想像し続けるうちに、お気に入りの女優たちのパーツで「完璧な美人の顔を手に入れる」という妄想と呼べる域まで夢は膨らんでいました。

バスの旅の途中で黒人兵のフリック、白人兵のモンティと知り合い、新しい感情も色々生まれます。

フリックの心に惹かれながらも、モンティに求められるまま一夜を共にしたり。


畠中さん演じる父親はすでに3年前に亡くなっていて、バスで旅をするヴァイオレットの回想シーンや夢のシーンに子供時代のヤングヴァイオレットと一緒に登場します。
その父親とのシーンを通してヴァイオレットの生い立ちが見えてきます。
父親と二人、山奥で貧しい生活をしていたこと。
怪我をしたヴァイオレットを父親が抱えるようにして山道を下り、何とか医者に連れて行ったこと。(しかしその時の医者の縫合も悪く、大きな傷が残る。)
母親はずっと以前に亡くなったようで、ヴァイオレットにはあまり母親の記憶が残っていないこと。
父親もヴァイオレットも教会に通っていなかったこと。
顔のことを悪ガキにからかわれたり、先生の不用意な言葉に傷つくヴァイオレットを過保護に甘やかさなかったこと。
算数の勉強だと言ってヴァイオレットにポーカーを教えながら、「勝ちたかったら戦え」と強く生きていく心を育てようとしていたこと…などなど。(このポーカーを教えるシーンが微笑ましい!)

そして2幕では壮絶な言い争いのシーンがあります。


せっかくはるばる奇跡を起こす牧師に会いに来たのに「奇跡は、目が見えないものを癒したり、立てなかった人間を歩けるようにはするが、あるものをなかったことには出来ない。その傷は君の一部だ。」と言われ、やり場のない怒りに取りつかれます。
この傷のせいで、誰もが自分から目をそらすか、傷しか見なくなる、本当の私を見て!と叫んでいるところに、過去の回想が被ってきます。


父親に「私を見て!ちゃんと見て!謝って!」と叫ぶヴァイオレット。
「俺が苦しんでいないと思うのか、謝れば気が済むのか、どうしろというんだ!」という父親に「顔に傷がついてからの12年間を返して、悪ガキ達にバカにされたこと、ひどいこと言われたこと、すべてなかったことにして!どう?できないでしょう?パパも辛いなんて言わないで!」
さらに、これは事故ではなくわざとだったんじゃないのか、と言い出します。

酔っぱらった医者に適当に縫い合わされて、5年後に大きな病院に行ったときにはもう手遅れだったのは、私がかわいかったらどこかに行ってしまうと恐れて、わざと醜くしたんじゃないのか、と。 

この時の父親の衝撃を思うと、客席で聞いているだけで身が縮むというか凍りつきました。(セリフはうろ覚えなのであくまでもニュアンスです。実際はもっと具体的に激しい罵り合いでした。)


でも父親は、そんなヴァイオレットを見つめ、ただ必死で育ててきた、目も笑顔もママにそっくりで驚くぐらいだ、でもその強い心はおまえのものだ、と歌います。

強く育てることしかできなかったが、自慢の娘だ。 「俺の美しい娘」と。 

ヴァイオレットも泣きながら「私がパパの傷を癒せたらいいのに


ここで父親がヴァイオレットの手首の赤いリボンをほどくと、白いリボンになります。
奇跡が起きて自分の顔が美しくなったと狂喜するヴァイオレット。
そして父親は「今日は安らかに眠れそうだ」と去って行きます。

 

このシーン、最初の部分でヤングヴァイオレットと大人のヴァイオレットが入れ替わります。この作品の中で、初めて大人のヴァイオレットと父親の会話になるのです。
激しいやりとりは実際に起こったことの回想でしょう。 そして父親にひどいことを言ってしまったまま、父親は亡くなったのではないでしょうか。
最後の和解部分はヴァイオレットの後悔が見せた「続き」なのではないかと思いました。 バスの旅で色々な人に出会った今のヴァイオレットだからようやく言えた言葉。父親の心を安らかにできたことで、ヴァイオレットも一つの重荷が下ろせたのかも知れません。
だからこそ、奇跡が起きた!傷は癒され、美しい顔を手に入れた!という妄想にも繋がって

 

自分の顔は美しくなったはず!と思いこんだまま(鏡は怖くて見ていない)米軍基地のあるバス停で意気揚々とバスを降りるヴァイオレット。当然そんな奇跡は起きていません。

モンティに顔が変わっていないことを気にするなと言われ、そんな馬鹿な、と手首の白いリボンを見つめますが、そこに顔に傷のあるヤングヴァイオレットが出てきて、ヴァイオレットに赤いリボンを渡します。

顔に傷をつけて出てくるシーンはこの一瞬だけですが、これはインパクトありました。

自分は何も変わっていない…その現実を受け入れることは辛く、全てから逃げ田舎に帰ろうとします。
しかし、そんなヴァイオレットを心から求め、一緒に生きて行こうと歌うフリック。 君のように「心の目」で物事を見る人は初めて出会った、愛している、と。
お互いがお互いの心で、お互いの心を見つめ合える相手に出会えたのです。

2人は相手の手首のリボンをほどきます。


ラストは、今までの登場人物たちが全員舞台に登場します。その時、手首のリボンは黒と白だけではなく、黄色、ピンク、紫、ブルー人それぞれです。人種や傷、という見た目での「識別」だったリボンではなく、一人一人の心の色、なのでしょうか。
やがて全員がお互いのリボンを外します。 相手の心を認め合えるなら、もはやどんなリボンも不要です。
明るい光に向かって進んでいこう、というような歌詞の壮大なコーラスで幕を下ろしました。(歌詞覚えてなくてすみません!)

せっかくのトリプルキャストなので私は3人のヴァイオレットを拝見しましたが、本当にそれぞれ全く違うタイプでした。
畠中さんも、父親と娘の大バトルはその三人三様のヴァイオレットと繰り広げるわけで、大変だけどやりがいがあったのではないでしょうか。


この作品、ぜひまた再演していただきたいです。

 

この2枚は、畠中さんがハタ坊の会のサイト用に撮影してくださったお写真です!